テレビを持たず、観ない、という話は何度か書いてきた。なのでテレビネタはほぼ書かないんだけど、例外的に書いたので2年半ほど前。
作曲家の林光と真田太平記の話
書いた切っ掛けは、2016年度の大河ドラマが、真田家を描いたもので、脚本が三谷幸喜というアナウンスが出た前後で、大好きな素材ではあるのに、スター・ウォーズ的に言えば「嫌な予感がする」しかなかった、のがあり、諸所思い出したから。

「嫌な予感がする」とは言え、暫くぶりに行っていない上田にでも行きたいものだとブログは閉めた。(結局行けず終い)

で、今年の丸なんだが、やはり興味のある素材だけに、テレビがなくとも、Youtube等で、たまにではあるが観てた。
観てて思ったのが、三谷が、いかに真田太平記に対して思いを持って作っているか、ということ。
完結し、様々な情報や発言を紡いで自分なりに咀嚼して感じて、やはりそう思う。
先ず、配役で草刈正雄、榎木孝明、木之元亮の三者が太平記と同じく出演してて、太平記では樋口角兵衛(架空の人物)という信繁、信幸にとって従弟にして重要な役であった榎木の穴山梅雪役も良かったが、何といっても真田昌幸役の草刈正雄がたまらなく良い。そこかしこに太平記で昌幸を演じた丹波哲郎を超えようとせずして、ドハマりとなった素晴らしい演技だった。丹波=昌幸が思案するときに握っていた胡桃を再現したりと芸が細かい。それを台本で指示するのでなく草刈自身でのアイデアであることもまた感慨深いし、採用する制作側も。従来までの「表裏比興の者」という、その時その場で主を変え二転三転で信用ならぬ、という昌幸の姿から、国衆出身であり、武田家においても新参者の先方衆であった真田家が知力を尽くして生き残る姿は、ヨーロッパからの言葉から引用する「バルカン政治家」と呼ぶ方が相応しく、その辺りも丁寧に描いていたのも印象的。まぁ日本という(中国大陸やヨーロッパと比べて)短い期間しか戦国時代が続かなかったから、多くの日本人の価値観からは裏切り者的に映るのも止む得ないが。こんなのを見てしまうと、従来からの見方を変えた毛利元就を読み解くのも面白いと思うし、誰かやってくれないだろか。

大泉洋演じる真田信幸(後に信之)が、太平記で演じた渡瀬恒彦に重なって見えてきたこと、似ても似つかないのに! この辺りは僕個人の勝手な脳内変換だろうが。
しかし不思議、重なって見えることが多々あった。

昌幸の叔父であり一族の重鎮、矢沢頼綱が昌幸に語る「一族棟梁たるそなたに従う」、「本家だとか分家とか、これよりは重苦しく、思い煩うことなく、好きに生きるのも良いと存じます」などの類似した台詞を語らすなども。

太平記では信繁(幸村)の従者役、向井佐平治(佐助の父)として、架空の人物ながら無くてはならない役どころであった木之元亮、丸では昌幸、信繁親子が配流となった紀州九度山の村長役として登場。大坂入りのときに、信繁の従者として付いていた佐助と会釈を交わす場面など、なんとも心憎いではないか。

太平記では女忍び、お江を演じた遥うららは現在引退していたことから出演依頼を断念したそうだが、幸村(信繁)の側にずっと居り寄り添う役柄でもあり、女忍びということで大坂の陣では戦いに出るのを禁じられ大坂城から出て、生き残るとこなど、丸のきりに仮託してるようにも思われ、ここも深読みしてしまう。

最終回で家康本陣への突撃時、前方本多隊と共に居た真田隊を蹴散らす場面での初回から信繁の側に使えており、人一倍、信繁に思い入れがあるも、現在、信繁の兄、信之に仕えている、矢沢三十郎頼幸(頼綱嫡男にして真田家筆頭家老)が幸村(信繁)に槍を向けるも弾かれる名場面。太平記では大坂夏の陣で、幸村率いる真田隊が家康本陣に突撃する場面、旗本も崩れる中で、唯一人、幸村に槍を向けるも一蹴されたのが、丸には出てこない滝川三九朗一積であるということ。
出てこない三九朗を三十郎に重ねるという…..もうねぇ、たまらない訳ですよ。実際の矢沢頼幸は真田兄弟より15歳以上年上の年齢なんだけど、丸では同年代か下のように描かれていて、それがこの場面に収束されていくんよな。たまらなく上手い脚本、演出。

太平記では逃げ落ちた先の安居神社で佐平治と再会するも共に大きく手傷を負っており、敵方に発見され、先に切られた佐平治に続いて幸村自決のシーンなんだが、ここで思い出されるのが幸村初陣での佐平治との会話「のお佐平治、俺はお主は、いつの日か一緒に死ぬるような気がしてきたぞ」で、こちら太平記での名場面。
この辺りをアレンジして茶々と信繁の会話に盛り込んだのかな?
丸では佐助と共に落ち延び、佐助の介錯で、としている。(太平記では佐助は戦死、看取った摂津の百姓が遺髪を信之に届けるという、これまた泣かせる場面がある)
そういえば丸での介錯の前に信繁(幸村)が佐助に、そういえばと年齢を聞く場面、ネット等ではギャグの様にも言われてるけど、あれは太平記での夏の陣、佐平治に、そういえば幾つになった?と幸村(信繁)が佐平治に聞き、その後、佐平治と佐助親子が最後の夜に杯を交わしている場面でも、佐平治が佐助に年を聞き応えたことへのオマージュだと深読みもしてみたくなる。(ちなみに太平記では幸村(信繁)49歳、佐平治52歳、佐助31歳)

大阪落城を報じる片桐且元に茶をたてる高台院(秀吉の妻の出家名)が、秀吉の辞世の句の結び「(浪花のことは)全ては夢のまた夢」と言わせるのも、あああっとなる。物語の回収が実に見事。(現在では、この句は、後世の加筆、創作という説もあるとのこと)

真田太平記が書かれて放映された1980年代から、様々な新資料の発見や解読によって歴史は刷新されている。
丸の興味深いところは、時代考証役に比較的若い学者達も含めたて配した上で、従来までのステレオタイプな役どころから変えつつ、娯楽物として作劇したことが大きい。
脚本次第で新しい物語は紡ぐことが出来る、という感じで、全て観た訳ではないけど、真田太平記以来、ほんとに楽しまさせてもらった。

※)文中の人物に関しては敬称略にさせていただきました。

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