端島にて

10月25日月曜日。前夜から続く雨は止まないまま長崎港に着く。前日から仕事関連での旅行で佐賀~長崎の旅。父の引揚先が佐賀、長崎の佐世保には親戚も居る、母の生地は福岡なので九州には何度も来ているがこの日の目的は数年前から上陸できるようになった長崎県沖、東シナ海にある無人島、端島(通称、軍艦島)。ながらく島内への立ち入りは禁止されていたが、2005年に報道関係者限定で上陸解除、2009年4月より一般への観光・上陸が許可された、今回の旅の目玉でもある。

心配だった雨と風と波だが、上陸できるとふんで出港。そう、こうして出港しても船長判断で接岸できずに周遊して帰港することも多く、上陸できるのは年間100日前後だとか。ガイドの説明が続く船内だがエンジン音であまり聞き取れず船は進む。40分も揺られると見えてきた端島。写真では何度か見ていたが、成程こうしてみると軍艦に見える。明治時代から三菱による海底炭鉱の合弁会社として昭和49年の閉鎖まで日本の高度成長を支えた炭鉱跡地の廃墟。

ベテラン船長と息の合った船員による見事な接岸技術により無事上陸。現状では島内の一部分しか歩けない。というのも元々小さな瀬(現状のおよそ3分の1だったとか)を埋め立てた海底炭鉱が取れた島。大正時代に日本初の鉄筋コンクリート造りの住居が建てられ増設していった、そんな島が無人となり手を掛けずにいるのだから、島内ほとんどがの建物敷地が潮と波で破壊されてとても立ち入れないのも無理がない。

上陸してすぐの第一見学所の前方が写真が↑で、かつての貯水槽がこの上方にそびえている。進行方向には建物の煉瓦群もごろごろ転がってる。改めて津波の力の凄さを知る。

動ける範囲は新しくコンクリート舗装されてステンレスの手摺りで仕切られている。ガイドの説明を聞き、従いながら進むと右手に煉瓦造りの総合事務所とほとんど判らないがここが第2見学場で、大浴場、更に1000メートル近い抗口があった。写真は撮らなかっがその近くには海中から汲み上げるためなのか、大型の揚水ポンプも錆びて朽ち果てていた。

戦前は朝鮮人や中国人、更に食い詰めた犯罪者まがいの工夫も多く、「監獄島」や「地獄島」とも呼ばれたとのこと。そうした者達は鉄筋の建物ではなく木造の住居に集められ相当過酷なもので事故や疾病で亡くなる者、島抜けに失敗して溺れ死ぬ者も多数だったと説明は続く。戦争で負けた時は、そんな痕跡を恐れたのか一早く解放されたとのこと。立場が変わることを恐れたのか真偽は判らないが大きな混乱なく済んだと伝えられている。戦後は人口も増え最栄期には5300人近く増え、病院、映画館、スーパー、お寺と普通の街としての機能のほとんどを備え、無いのは火葬場と墓地だけ、その2つは電力を供給していた近くの高島へと送られたたのこと。良質な炭が多く取れたようで比較的経済的水準も高く、エネルギーの主体が石油にとって代わったことで閉鎖となったが日本の炭鉱で唯一黒字を保ったままの閉鎖だったと説明は続く。
更に進むと最後の第3見学場、日本初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅、7階建ての「30号棟」と後ろに連なる社宅群が見える。見学場の後方にはプールがあり高潮の時など魚も流されて一緒に泳いでいたなんて話も。

城や城跡、神社仏閣以外に観光というものに、ほとんど興味がない身ではあるが、ここは歴史の中にある光も影も含め機会があるなら行ってみた方がいい。(僕が行った時も行われていたが現在、他の区域も入れるか安全確認中)

カテゴリー: BLOG   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

Spam Protection by WP-SpamFree