昨年の今頃、ちょうど京都音楽博覧会も終わり、関西でのトミの単独公演はなく、もうすぐ帰国という時期、仕事は詰まっていたけどなんとかやりくりして、トミにお別れを言いに東京へと向かった。
そのときに聞いたのが、くるりの岸田さんと意気投合したこと、「来年もまた呼ぶから」という言葉を貰ったこと。社交辞令もあるし、話半分に聞いときや、とは答えたけど、それから一年。今年の春にトミの再来日、それも京都音博での来日の報を聞いた、しかも今年は、くるりのサポートメンバーでの来日。そんな中、今年は音博終了後には単独ツアー出来る旨、そしてトミからのリクエストもあり京都と大阪でもやりたいから、ということで僕も関わることに。前回の単独から四年ぶり二度目の京都、大阪単独。
京都は動画撮影等で組んでいるMYに任せて、僕は大阪。前回以降に、次にトミが演るなら、ここだ! と思い決めていた阿波座のシェ・ドゥーヴルに話を持ち掛け了承快諾。前回ニッチで企画(チェロとチューバのデュオ)させてもらったときは奥にあるホワイトキューブのギャラリーでしたけど、トミは路面を背にした方が映える。そんな妄想と共に始まった企画。
なんだかんだで過ぎ去る日々の中、あっという間の音博。9月20日の本番に9月5日から来日してみっちりリハーサルを重ねただけあって、出ずっぱりのトミのバンドネオンを活かしてた楽曲にアレンジ。ラストの「宿はなし」もうるっときた。
で、翌々日の22日岡山からツアースタート。僕のスタートは23日の神戸須磨にあるカフェ・ボナールでのスタッフ及び送迎担当から。無事に須磨でのライヴも終わり、まかないをいただいて、深夜に一路、大阪まで。
明けて24日、翌日、25日に京都で共演するオオルタイチ+ウタモと打ち合わせ、合宿するべく発ったトミを見送った後,溜まった仕事を片付ける。
25日金曜日、空いた時間を作って取り急ぎ、回したいと思うレコードを詰める。結局全然選曲出来ないまま京都へ。そうこの日は演奏前後のDJも頼まれていた。
会場はアバンギルド。三条木屋町にあるビルの三階の入口扉を開くと、ちょうどトミのサウンドチェックが終わるところ、続いてタイチ+ウタモ、そして三人による演奏とリハーサルは続く中、開演時間は迫り、結局DJのチェックはほとんど出来ないままで開場。
Brigitte Fontaine と Alesskiの1973年「Je ne conmais pas cet homme」から”Depuis”そして繋ぐ間もなく”J’ai 26 ans,Mdame”と流れて、そこからは、ほとん即興で繋いだので、実はほとんど覚えていない。ブラジルのサイケ、コンクレート、ゲーンズブールのブレイクビーツからダブステップ。シリアのダブケ、イタリアンロックなどなど。久々に音響のしっかりした場所でジャンル関係なく思う存分回せた。「DJに」と指名してくれたウタモさんに感謝。
ライヴはタイチ+ウタモからスタート。この日のタイチくんはエレキギター。これがまたいい音色。新曲も聴いたことのある既発曲も、どれもがいい。練れてこなれて、更にどこに行くのか?ていう感じ。録音中のアルバムの完成が待ち遠しく、なおかつまたライヴをチェックしなくては!という素晴らしい内容だった。
その後は休憩挟んでトミのソロ。最近よく試しているという表から歌いながら登場。これは神戸でもそうだった。これは色んな人たちからも言われたことだけどステージングが昨年よりキマッテる。演奏、歌も含めて水準が上がっていて、この一年での変化も楽しめた。そのまま転換なしで三者による合奏。トミの持ち曲にタイチ+ウタモの演奏やハーモニーが合わさることで、どこにもない不思議で美しいものが奏でられていく。目頭が熱くなることもしばしば。アンコールに応えてステージを降り客席で生演奏、生歌。ここはもうトミの本領が存分に発揮された格好に。企画者曰く、カフェとかでなく、敢えてPAとステージのある会場でやってみたかったというのも頷ける内容だった。
この日は伏見に移動して泊り。深夜まで翌日の打ち合わせやら時間繰りの話して就寝。
長いので次回へ続きます。