アンコールについて

アンコールについて、T.M.Revolutionこと西川貴教さんが自説を述べている記事を目にした。

僕は西川さんのことは、名前くらいしか知らず、その音楽については何も語る言葉は持っていないけど、この記事については、とてもよくわかる。

西川貴教、惰性のアンコールに苦言、「演る側も義務ではない」

詳しくは↑にリンク貼るので、そちらを読んでもらえばいいのだが、簡単に書くと、西川さんは「基本は本編で全て完結しており、チケット代はこの本編に対して頂戴しております」というアンコールへの持論があり、「更に求められ、それに応える心と心の呼応がアンコールです。本当に求めて頂ければ、いくらでもお応えします。ですから『もっと』のアピールは、強く大きくお願い致します」とライブに来るファンに宛て理解を求めた。」というもの。

僕も以前から言ったり書いたりもしてきたが、惰性やおざなりなアンコールは、CD化に際してのボーナストラック並に不必要だと考えていて、それでも本編のライヴがとても素晴らしく、その熱が冷め難いとの気持ちが高まったとき、アンコールを求め、それに演者が応えるのは、コール&レスポンスの、とても幸せな形だと思っている。

以前に大阪、心斎橋のJANUSで主催した、友川カズキ「復讐バーボン・レコ発ライヴ」での本編の流れはすさまじく完璧で、ラストの「家出青年」で、僕は感無量、これ以上は要らない、そんな気持ちで、最後列から会場を出て物販スペースへ戻った。こんな気持ちになったライヴはそうそうない。もちろん皆がそうではないのだろうが、僕のように感じたならば、そんな時は、席から外してもいいのではないかと思っている。

恐らく西川さんは、ライヴでは本編に山場も見せ場も集中させ、アンコールは、「おまけ」とはまでは言わないが、それに近い、クールダウンのように位置づけているのかな、とは思う。

その上で、熱く求められれば、全力で応えますよと。 だけど(その熱さの)気持ちを強要しているのではなく、アンコールに応えて出てきても、スマートフォンを弄ったり、臨席の友人らと喋ったりでは、義務でも強要でもないものですよと、あえて言いたくなるのは、とてもよくわかる。

この辺り、ライヴ中の写真や動画の撮影についての、僕のスタンスも何度も言ったり、書いたりしてきたこととも通ずるもの。

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