Brixton Celebrates Party – Ghost Town

先週から選曲に絡めて色々聴きなおして、昨日のブログ書いた後に、また色んな動画観てたら、こんなの見つかった。
2013年4月8日に亡くなった、その翌日にアップされているブリクストンの広場での光景。
これがもう、本当に祝ってる。冒頭でThe Specialsの「Ghost Town」が流れるのがまた色んなものがない交ぜになって伝わってくる。個々人の思いや是非は置いておいて。

サッチャーが亡くなった時に、色んな人達の言葉がネットでも読むことが出来たけど、Morrissey(元The Smithsのヴォーカリスト)が、とても辛辣で、以下全文の翻訳を載せてみる。
「サッチャーが今も鉄の女と振り返られているのはどうしてかというと、その決して屈しない頑迷さや他人に耳を絶対に貸さないというまったくもってネガティヴな気質を持っていたからに過ぎません。

サッチャーの行動はすべてがネガティヴィティに駆られたものでした。サッチャーはイギリスの製造業を破壊し、炭鉱労働者を忌み嫌い、芸術を敵視し、北アイルランドの独立擁護派を憎悪しては死なせ、イギリスの貧民を蔑視してなんの救済の手立ても考えず、グリーンピースや環境保護活動家を嫌い、ヨーロッパの政治指導者としてはただ一人だけ象牙売買の禁止に反対し、ユーモアも温情も持ち合わせず、自身の内閣によって最後には放逐される羽目にもなりました。(フォークランド紛争で)アルゼンチン海軍巡洋艦ベルグラノを爆破させろと命じたのもサッチャーでした。ベルグラノがマルヴィナス(フォークランド)島排他的水域の外に出ていて、島から離れる途上にあったにかかわらずです! ベルグラノに乗船していた多くの若い水兵たちが嘆かわしく不当な死を迎えたこの時、サッチャーはイギリスのプレスに向けてガッツポーズを取って見せました。

これが鉄のよう? いいえ。では、野蛮? そうです。女性の権利獲得が進歩したからこそイギリスの人々の大半も自分たちの首相が女性であることも可能だと受け入れるようになったにもかかわらず、サッチャーはフェミニストを忌み嫌っていました。しかし、サッチャーのおかげでイギリスの政治で女性が権力を握ることは二度となくなったはずで、この門戸をサッチャーは自分に続く女性のために開けるどころか堅く閉ざしてしまったのです。

サッチャーはその政権時代に痛みを強いられなかった人たちのみから感傷的に懐かしがられるだけで、イギリスの大半の勤労層はすでにサッチャーのことなど忘れてしまっているし、アルゼンチンの人々は祝杯を上げることでしょう。事実として、サッチャーは人間性など分子ひとつ分も持ち合わせていない歩く恐怖だったのです」

読んだ当初は、大人気ないなぁ、とも思ったし、そんな祝賀ムードの中で、John Lydon(元Sex Pistols、現P.I.L.)の言葉には、大人やなぁとも思ったのも事実。ちなみに以下に全文。
「追悼パーティーの類についてはどうかと思うね。サッチャーの政策はひどいものだったし、俺が若かった頃、そして同じようにあの時代をなんとかして生き抜こうとしていたみんなにとっていろんな大問題とはなっいたのは確かだよ。でも、だからといってみんながいうように俺がサッチャーの墓で踊るってことにはならないんだよ。俺はそういう人間じゃないんだ」

「俺はサッチャーの人生を通してサッチャーの敵であり続けたけど、彼女の死においても敵となるつもりはないよ。俺は卑怯者じゃないんだ。俺の人生はそのすべてが、社会的な意味では特にマギー時代と切っても切り離せないんだよ。マーガレット・サッチャーとどう向き合うかってことは元セックス・ピストルズとしては大きな命題だったよ。でも、それなりに頑張ったとはいえるんじゃないかな」

僕も亡くなったときに、「祝おう」という気持ちが沸くかと考えると、多分、そうはならないとは思う。
でも、予定通りに退陣したときには、パーティーをしたい気持ちは変わらない。

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