Honest Jon’s について

Twitterで見かけて、お気に入りに入れたものの、結構な長文故に寝かしていた記事。

ようやく読んでみて発見、というか・・・少し想像してみればわかりそうなものではあるけど、それでもこうして実際に関わった人達の証言を重ねてみて、様々なことが氷解した。

ロンドンの中心地から少し西、ハイドパークの北にあるポートベロー・ロードは、週末になると最寄りの地下鉄ノッティング・ヒル・ゲート駅から約1キロ近くマーケットで有名な町。映画『ノッティング・ヒルの恋人』の舞台でも有名な町ではあるが、ここには世界中の重度なレコ好きの、かなり多くが知っている大げさだけど”聖地”のような、Honest Jon’sレコードがある。

僕が最後にロンドンに行ったのは1992年で、もちろんその時も、この場所にお店はあったんだけど、当時の僕は存在を知らなくて(広く知られるようになったのはHonest Jon’sがレーベルも始めた2001年以降、インターネットの普及とも重なる)、ロンドンの様々なレコ屋を覗いてみたけど、ここまで足を伸ばさなかった。

現在は、このレーベルから出すレコードは少なからず持ってるし、これからも要チェックなレーベルなのは、おそらく変わらないと思う。

この記事は、そんなHonest Jon’sの創立者、Jon Clare(現在はJohnとスペルとのこと)から現在のオーナー、様々な個性的なスタッフ、レーベルに関わりをもつ、BlurのDamon Albernらの証言からなる、昨年創立40年を迎えた、ロンドンの音楽史の中で多大な影響を与え続けてきたレコードショップの歴史が綴られている。

内容は読んでもらうのが一番なので、ここでは割愛するけど、以前にもここで書いた、Ian Hunterの来日時のインタヴューの中のエピソードと重なる部分もあり、その辺りを少し紹介したい。

70年代後半に、パンク・バンドがたくさん出てきたとき、Mott The Hoopleが、パンクの元祖のひとつ見做され、取り上げられたことについての流れで、こう語っている。(Burrn!2015年4月号より)

「当時、ブリクストンなどにある黒人向けの店では、道端にスピーカーを置いていた。白人向けの店にも同様にしていたね。レコードを買える人がそんなに多くない世の中だったから、そうやって道端でレコードがかかっているのをみんなで聴いていたんだ。パンク・バンドはレゲエをやり、黒人が白人のパンクを聴くようになり、白人も黒人の音楽を聴くようになった。パンクスの中には白人ばかりじゃなく黒人のスキンヘッズもいた。そこがひとつ、パンクの素晴らしいところではあったと思う。」(増田勇一氏のインタヴューより)

で、Honest Jon’sの記事の冒頭、1974年にオープンした当時は、現在の店から200ヤード離れたゴルボーン・ロードにあった。そしてオーナーのClareはこう振り返る。

「あらゆるお客さんが訪れた。たいていの人は貧乏であり、人種や文化背景も様々であったが、この地域のアフロ・カリビアンの人々にとくに人気の店になった。Clareが所有していたレアなジャズ・レコードはすぐに売れ、代わりに別のレコードが棚を埋めた。「ジャズ好きが来るようになった」と彼は言う。「1974年、ゴルボーン・ロードでは、音楽に詳しい年配のカリブ人やアフリカ人の男たちが沢山いたんだ。彼らに多くを学んだよ。テノール奏者の聞き分け方とか、歴史とかね。今度は若い人達が来るようになって、レゲエやスカを求められるようになった。私はそういう音楽はよく知らなくて、ジャズしか解らなかった。彼らはBig Youth、The Heptones、そういったものを求めたんだ」

そして、こう続く。「70年代の西ロンドンは、音楽的にも政治的にも激動の時代であった。Notting Hill Carnivalが60年代半ばにこの地でスタートし、1958年にはこの場所で暴動が勃発した。複数の世帯が一戸に暮らすことも珍しくなく、悪名高いPeter Rachmanが運営するコルヴィル・テラスという、ロンドンの最悪のスラムが1マイル以内の距離にあった。

「人は何か逃避を必要としていたんだ」とClareは言う。「アルコールとドラッグ以外では、音楽があった。音楽はとてつもなく重要だった。人を救ったよ」

誰であっても歓迎される寛容的な雰囲気がこの店には最初からあった。「店の中は安全だ」とClareは言う。「黒人も白人も共存することができた」。1976年のNotting Hill Carnivalにてまた暴動が起きたとき、ここは窓が壊されなかったゴルボーン・ロードの数少ないお店のひとつであった」と。

この店だけがそうだった訳ではないけど、みんなこうやって混ざっていき、知らない音楽にオープンになっていったんだなぁ。TrickyがThe SpecialsやThe CureやKate Bushも聴いていたように、QuanticたるWill Hollandがクンビアに夢中になって、コロンビアに移住したり、挙げればキリがない、こうした音楽の結びつきがあった。

この記事が素晴らしいのは、結びの言葉にもある。それは読んでもらいたい。

Honest Jon’s:大切な場所

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