瀬戸内への旅

昨年から多忙を理由にラジオプレイリスト更新(実は手間がかかるんです・・・)を怠っている・・・ SNSから距離を置こうという気持ちもあってブログが少し多目になっとります。 プレイリストは序所に追い付くようにするので、勘弁してもらうとして、今回、珍しく旅の記録。

行き先は広島は福山市、鞆の浦。昨年後半に島田荘司著、久々となる御手洗潔シリーズの新刊『星籠の海』(上下)』を読んで、その舞台が鞆の浦~瀬戸内海、そして村上海賊が絡んでいて、その舞台の一つ、鞆の浦に行きたいと思っていた今年の冬、今度は、まるで合わせたかのように出版された和田竜の新刊が『村上海賊の娘』。これがもうべらぼうに面白くて、鞆の浦へ行きたい気持ちが俄然強くなった。 そんな中、友人が愛媛の西条市に移り住んだこともあったりなんやかんやとスケジュールのやりくりをして、どうにか金土日と三日間空けて、この6月後半、鞆の浦~しまなみ海道~松山の旅に行ってこられた。

幼少時から歴史を学ぶのが好きで、古城を巡るのが好きというのもあって、勿論、村上海賊のことも興味はあったし、過去に何度か松山にもしまなみ海道にも行ったことがあるが、完全に私用では初めて。曇天の中、山陽道を通り一路、福山へ。

福山西ICを降りて、海側を目指し、40分も車を走らせると、目指す最初の宿、欧風亭に15時に着。ここまで予定通り。 部屋からは『星籠の海』にも出てきた弁天島も仙酔島も見える。(読んで半年以上経っていたせいか失念していたが、ここ欧風亭も物語の中盤以降、主人公の宿とも重なっていた)

近くには寺が多く、山中鹿之助の首塚もある。足利最後の将軍、義昭が御所になった土地で、先祖の尊氏が光厳天皇から新田氏追討の院宣を受け取った土地でもあり、足利幕府は鞆の浦で建ち、鞆の浦で閉じたとも言われる。以前までならもう少し散策したいはずなんだが、『村上海賊の娘』に魅了されまくっていたこともあって、心は早くも瀬戸内海、しまなみ海道へと飛んでいたことあり、この日はホテルの売りでもある、屋上露天風呂に身を浸し、仙酔島を眺めながら夕焼けを眺め、夜は天然鯛尽くしに舌鼓を打ちながそうそうと就寝。

翌日、曇りから雨の中、先ずは尾道、 ここも寺が多い街。 尾道での目当ては、猫。なんでも猫の細道というのがあるみたいで、その周辺を散策。雨は降ってないが、蒸し暑い・・・道に迷ったり坂道行ったりきたりで、ようやく猫の細道。 しかし一匹も、影も形も見えない・・・昨夜食べ過ぎもあったので、まぁいい運動になったかと、車へ戻り、さてこれから、瀬戸内へ!

前回、しまなみ海道を渡ったときは四国松山から尾道へ、だったが今回は逆。しまなみ海道は行政区分でいうと広島県尾道市~愛媛県今治市に当たり、橋の架かる主要な島で六つ。その他周囲には小島が多く囲まれている。最初の島、向島から因島。ここにも因島城跡や資料館もあるが、降りずに休憩に留めて、大三島を目指す。 最初の立ち寄り場所は、大山祇神社。二度目の来訪になる。 『村上海賊の娘』(以下、村娘)ではここで戦勝を願う、連句の会が行い、なかなか出陣しない能島村上の当主、村上武吉が周囲をいらだたせる場面で出てくる。ここには前回来た時も驚いた大楠があって、国の天然記念物でねある、この大楠はなんと樹齢約2600年。大きな楠は他にもあるが、まだ生きているというのが本当に驚き。ここで今年の初詣をしてから、宝物館横の小道を行く。その小道が、鶴姫ロードという名称になっていて、鶴姫の像が各所に何体か設置されている。

この鶴姫も『村娘』で鍵となる人物で、物語の時代には生きていないが、その出自とは、「大山祇神社の神官・大祝家の娘として1526年(大永6年)に生まれる。周防から北九州の守護大名から戦国大名となった大内氏による瀬戸内の島々への侵攻に対し、大祝家は神官だったので戦に出ずに三島城を守っていたが、一族の中から鶴姫の兄、安房が陣代で戦場に赴き、伊予の守護河野氏や来島氏共にて迎え撃ち、激戦の中、安房は戦死。
その後、再び大内氏が侵攻して来た祭、、三島城の陣代で戦場に赴いた鶴姫は
恋人の越智安成と共に激戦の末に勝利するものの、越智安成は討ち死に。
亡き恋人を想って失意の中、18歳で入水自殺したとされている。

『村娘』の主人公、景は、この鶴姫に憧れており、鶴姫のように軍船に乗り、女の身でありながら戦働きをしたい、そんな想いを汲んでくれる、婿殿は居ないものか? そんな風に物語は進んでいく。

大三島にも、村上三島記念館というものがあるが、そこは今回置いておいて、塩で有名な伯方島を経由して大島へ。伯方島と大島の間にある小さな島が、村上三島水軍の筆頭格であり、因島が毛利に、来島が河野に付かざるを得なかった中、最後まで独力の道を行った能島村上の能島城がある能島。 とはいえ、本拠地は大島、ということになっていたらしいが、当時の当主、村上武吉は能島に居ることを好んだという。 その能島には橋が架かっておらず船でしか行けない、なので今回、村上海賊史跡訪問最後は大島にある、今治市村上水軍博物館。

往時の城を思わせる建物(勿論鉄筋コンクリートではあるが)、『村娘』効果なのか駐車場はほぼ埋まっている。前面道路挟んで海側には能島が見え、なにやら和太鼓の演奏をしている。建物入り口付近には、40人近く乗せたという海賊の小早船の再現実物大が置かれているのを横目にチケット購入して展示物へ。そこまでリサーチしてなかったのだが、企画展示室では『村娘』の企画もあった。各所に漫画風のイラストが並べられている。いつの日か、映像化されることがあるのなら、実写よりアニメの方がむいていると思っていけど、それは皆同じなのかな。 三階建ての中、一階部はチケット売り場やレストランで、展示は二階、三階部。村上水軍は二階で、企画展示室と甲冑や小袖を着たり出来る体験ルームの他、常駐の展示が五室ある。 三階は展望デッキの他、こちらも企画室扱いなのかな?  銅の住友を支えた愛媛県新居浜市にある別子銅山(現在は閉山)の変遷が写真と解説で展示されていた。

能島に渡ってみたい想いは、次回訪問への切っ掛けとして残し、瀬戸内海、しまなみ海道に別れを告げ、四国上陸、一路松山市へ。初めて運転する山道を上り下りすること約30分、ようやく道後、松山市内へ。二日目の宿は温泉こそあれ素泊まりなのでアクセスと駐車場があることがメインで選んだ。

少し迷ったせいもあって遠回りになったようだが、おかげで湯築城跡(現在は道後公園)を横目に出来た。路面電車沿いを走り、松山城の北側にある平和通沿いの宿に15時到着、こまでほぼタイムスケジュール通り。 この日は冒頭で書いた西条市に移り住んだ友人と松山市内で呑む予定。待ち合わせの時間まで部屋で休憩した後、合流。半年ぶりに会い色々情報交換などしながら駅前の繁華街へと向かう。露天が出ているのは何かのお祭りだろうか?  さて何処で呑もうかとうろうろしている中、少し調べていた魚の美味しそうな店が目の前にあったのでそこへ。瀬戸内入った辺りからあちこちで看板出てて気になった、オコゼがあったので刺身と残りをから揚げにしてもらい、瀬戸内のタコ、さわらなどで舌鼓。 友人の近況や諸々の話、また音楽、映画、書籍の話と尽きない。こうした話をしたいという欲求のわりには、普段なかなか出来ない、こうした話が出来る友人のありがたみも感じつつ、ボトルで注文した焼酎もなくなったことだし河岸を変えることに、まだ少し時間早いので、今度はもう15年以上は会っていない旧友の経営する店を求めて、二番町、三番町をふらふら。目当てのビルになかなか行き着かない中、キャッチのお兄さん達(これがびっくりするくらいに親切で、自分達の儲けにも何にもならないのに丁寧に案内してくれた!!)の案内の元、ようやく到着。宣伝のほんのほんの一助にもなろうかと思うので店名を記す、三番町にある、2鶴。読みは「にかく」というカラオケもあるスナック風だが板前出身なので料理もしっかり出す店。僕がミナミで働いていた頃、20代に知り合い、そんなに趣味が合う、とかではないが同い年ということもあってよく遊んだ。そんな彼が故郷で自分の店を出して色々あって形態を変えながらも継続させていたのは、ほんと嬉しかった。この日はファミリーグループ子供連れのカラオケ大会みたいな感じだったので、あまりゆっくりしなかった、僕らが座ったことで常連客が何組かを帰してしまったし、こちらも再びの松山を心に期して店を後にする。 西条から来た友人も近くに宿を取っているとのことで、また明日もあることだし解散。我々も宿に戻りぐっすり就寝。

翌朝、心配だった空模様もほぼ快晴な日曜日。前日よりタブレットの充電が接触不良で出来なくなってるし、テレビ付けてもローカルニュースばかりで何も知ることが出来なかったが、この週末、色々出来事が起きている様子。(ボビー・ウォーマックの死も、少し後で知る)  珍しく持参したカメラの充電も出来ずで、ここからは写真なし。

道後温泉から引っ張っているという天然温泉の大浴場の後、朝食。この日はこの半年でよく行くようになったという友人お勧めの海沿いカフェに寄ってから帰阪。 チェックアウト後、待ち合わせのJR松山駅付近で合流、そのまま車二台で目的のカフェへ。走ること約15分、海の近くを走る伊予鉄道、梅津寺駅(ばいしんじてら駅)、近くの堤防沿いに車を停める。海と反対側にはサッカーフィールドがあり試合(練習かも?)している。友人曰く、プロサッカーチーム愛媛FCのホームとのこと。

鉄道沿いを少し歩くと、司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも馴染み深い、秋山好古、真之兄弟の銅像もある。歩くこと2~3分。再び線路渡ると目的地、カフェ・ブエナビスタ。元々海の家を改装したカフェ。友人は行き着けになっててマスターとも知り合いになってた。マスターは大阪出身だそうだ。店名で分かるようにラテン音楽、ブラジルの文化から来ている。旅に出て以来、大して体動かしてない割りに、普段より食べてしまっているので、友人カップルがパスタ注文する中、我々はマンゴージュースやスムージーで。窓から見える浜では家族でが海水浴。確かにここでの夕陽は絵になるのはわかる、そんな瀬戸内海の眺め。ふと気になった前方にある、半島なのか島なのか? 帰阪して調べて分かったんだが、あの島が、今回の旅の切っ掛けともなった『星籠の海』で事件の発端となった興居島だった。旅の終わりに、旅の切っ掛けとなつた島を眺めていた訳だ。

13時過ぎ、再びの四国、愛媛を、との思いと共に友に別れを告げ、大阪へ。これが列車での旅なら、『星籠の海』の最終場面のような、送られる者と送る者による、説明し難い、切ない気持ちにもなるやもしれないが・・・

帰りは寄り道せず、合計約800キロの旅。

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