一年前、7月23日。参議院選挙の結果、自民党が政権を取った後に、武器輪出三原則の撤廃か?に寄せてブログを書いた。
それから一年。7月1日、解釈改憲とやらで「集団的自衛権」云々で、デモ等騒然となった。解釈によって法律、のみならず憲法も変えたいというものは、論外ではあるが・・・だいたい2001年以降何度繰り替えれたインド洋における多国籍軍への補給だって、あれは「集団的自衛権」の範疇。多くの日本人は戦争オンチが多いんだが、ドンパチするだけが戦争なわけない。補給は立派な戦闘行為の一環。 自らをどちらの「側」なのかという証明でもある中立というなら、武力を行使しでも、どの国、地域の「側」に立たないことを意味するんだし。
というわけで、日本は毎度、その都度、その都度「解釈」で、法を捻じ曲げてきてる、という理解が、どれだけの人たちに浸透してるんだろうか?
一年前に書いたように、僕は、日本が公然と武器を売る国になってしまうことの方を懸念している。どれだけ解釈しようが、憲法はそんな風には覆るものではないのだし。ただ日本人は、法よりも、全体の納得や、空気を重んじる、というのは懸念として残るが・・・
久々に、友川かずき「サトル」を聴いている。このアルバムは30周年のボックスにのみ入っている一枚で、単独では未だ発売されていないが、重要な曲が多く収録されている。
個人的にはタイトル曲の「サトル」だが、やはり外せないのが「ピストル」。
こんな時代だから、とう人たちも多いが、僕には「平和と愛と理解のどこがおかいしいんだい?」ではリアリティーも共感も、持てない。
「弾はこめられているのかいないのか、その時はあるのかないのか。戦争反対もけっこうだが、人間はんたいではないのか。 銃口はいつでも眼前にある、ここではどこでもそれは同じ。何クソ!と言ったところで、空も指もあてにはならない。テーブルにピストルがある、テーブルにピストルがある、それは約束された花なのか、それは裏切りの重量なのか。」
Kazuki Tomokawa – A Take Away Show #98 – Part II from La Blogotheque on Vimeo.